Paul Templeピサック救援活動ブログ(日本語版)

2010年8月30日月曜日

Valle Sagrado救援活動



クエンコ診療所
2010年8月28日

もう最後にブログを更新してからどれくらいの時間が経ったのだろう・・・。乾季はすでに十分すぎるほど安定しているし、Apu Lini(リニ山)を背景にした上の写真で見ると、僕の家は真ん中から左手の木々の間にある。ピサックのはずれに位置し、プルマクルコ区域の農作地帯からほど近い場所である。

6月の後半に品質的にも量的にも例年に比べて見劣りはするものの、ようやく作物を収穫することができたこともあり、食糧物資の配給を一旦停止することになった。従って私たちが実施した支援活動の殆どは村々の住民に対して建築資材、及び工具の提供によって占められることとなった。僕も例外にもれず、家の手入れとガーデニングの整備に余念が無い。9月と10月頃に春の種撒きが行われる頃には、再度食糧配給に対しての検討を行う予定だ。

7月の終わり頃には、ペルーでのVISAを更新するために、24時間だけボリビアを訪れた。

クスコからリマへ飛んだ2日後、プカルパ(Pucallpa)経由でコンタマナ(Contamana)と呼ばれる小さな平原へと向う。Benjamin Mahuaというシビボの祈祷師、他3人の弟子たちとともに、聖なる植物療法に関する打ち合わせを行うためだ。写真は飛行機から撮影した、ウカヤリ(Ucayali)川。



僕らが滞在したのは、2つの河川の流れの合流するポイントだ。一つは冷水が。一つは天然の温泉。どちらか好きな温度の場所に滞在することができる。園の管理団体が建設したモロカと呼ばれる場所で、夜の聖なる儀式を執り行うのが目的だ。コンゴウインコの群れが頭上をかすめて飛んでいくのを見ながら、コルパと呼ばれる場所を訪れる。粘土を舐めることで必要な栄養を摂取するのだ。大きな青いモルフォと呼ばれる蝶が毎朝羽ばたいていくのが見れる。


サウナの上には蒸気通気口が立っている。この地点ではもう川は熱すぎて入ることができない。帰りの際に、ペルーでの居住権を得るための必要な手続きを行うために、リマに数日間滞在した。



ピサックへ戻る途中、作業員たちはすでに土嚢の積み上げと、テラスの作成を完了していた。



ベンジャミンたちが到着して、聖なる植物のワークを継続して行うことができるように、主に果物と花を植栽している。



8月終盤になると、春の種植えに向けてパタパタと呼ばれる畑でうねを作るために、牛のトラクターが大活躍!僕もたくさんの種類の野菜の種を植えるんだ。



先週は、聖なる植物の儀式の合間に、クエンコ村を訪れることができた。古着の提供があたたかな感謝とともに受け取られた。じゃがいもの収穫は、今年は既に実施済みである。塊茎が小さいものはフリーズドライにされた。ホワイトモラヤと呼ばれるもの、これらは2週間ほど水に浸されたものであり、写真の手前のタンクで天然冷凍状態にて貯蔵されている。



僕らが支援しているクエンコ診療所の建設の様子を見に行った。7月には100袋ものセメントを供給した。基礎工事が終了した模様。政府関係者との調整では、村がきちんとした建物を建設するならば、診療ワーカーやスタッフを提供しようという取り決めがなされた。



今週作成された、日干し煉瓦。地方自治体のメンバーにも会うことができた。必要に応じて木材と梁を提供してくれるとのこと。9月5日の創立記念日にお招きにあずかる。計画も承認され、診療ワーカーも9月1日から稼動を開始する。建設が完了する前からでもだ。

先月は村ではスペインから団体が訪れて、医療サービス運営のための基金をどう組織するかが議論された。彼らが山を降りる途中に、マイクロバスが不慮の事故に遭遇し、4人が死亡。5人が重軽傷を負った。ゆえに基金の話は無くなった。事故現場では、小さな十字架が捧げられている。以前にも話したように、僕は地方自治体メンバーに、この診療所の建設費用の一部を負担することを再確認した。


村を離れる前に、コリコチャ湖へと歩いた。渡り鳥たちが通り過ぎ、ラマとアルパカが乾燥した平原で放牧されている。今年の1月に大きな被害を引き起こした元凶とされる修理が必要な運河は、清掃と修復が完了していた。



「救援基金」は紆余曲折を経て、当初予想していたよりもはるかに長期間に及ぶ取り組みとなった。しかし、彼らの笑顔を観ているだけで、何故このような行為がなされたのか、その原点に立ち戻ることができるような気がする。

9月と10月に種植えの季節が始まれば、僕が考案していた、キヌア、カニフアといったスーパーフードの作物を育てる試みも開始される。種植えが終わる頃にまた、食糧配給に関する検討を再開する予定だ。




最後に一言:当初見積もっていた目標金額である12,000ドルから15,000ドルもの基金が達成されました。これまでにUS$15,526が寄せられ、これを受け基金窓口の表記などは(僕のウェブサイト上のものは)既に削除されています。既に数人の方々が後期においても、寄付を続けたいとの意向を示してくれ、どのような方法で送金された基金でも、僕らは常に最も過疎化が進み、貧困の度合いの高い地域において、直接村の住民たちの手に渡るよう、最善の用途を模索してきました。

この地を訪れるどのような訪問者も、「古着」の提供はいつでも大歓迎なのです。子供サイズ、大人のSサイズが一番役に立つでしょう。今日までに私たちは既にUS$7556.29を使用しました。8000ドル近くがまだ残っており、主にクエンコ村の診療所の建設に使用されたり、カカコーリョ村の家々の建設に役立てられます。また雨季のあいだ、地域住民たちが必要十分な食料確保するために用いられていきます。

もし(監査目的などで)使用状況などの詳細記録をご覧になりたい場合は、ご連絡ください。

この救援活動を支えてくださったすべての方々に、そして継続的にサポートしてくださる方々へ心から感謝をお伝えしたいと思います。

この試みは継続的に、私個人にとっても大きな学びの場であり、このペルーの地において、文化的な「つながり」が次々と展開していくものとなりました。このプログラムが継続される間は、その様子を少しでも定期的にお伝えする努力を続けていきたいと思います。しかし、3年間に及ぶ自宅建設費用の返済、ペルー移住のための関係機関における公的手続き、ブロッコリの種植え、夜間7-8時間に及ぶ私のシャーマンの祈祷師とのセッションの合い間を見つける必要があります。叡智に満ちた教えの数々、そして彼のメディスンソングを録音すると、私のPCのディスクはすぐに容量一杯になってしまいます。

愛と感謝を込めて
ポールテンプル

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