Paul Templeピサック救援活動ブログ(日本語版)

2010年4月28日水曜日

カカコーリョ村への帰還 vol.4

チャクタカッカ山より高地の山間の村々から、「ポテトの民」が今回の被災で大いに苦しんでいる、という噂が出回っている。より高地に行けば行くほど、農耕にはより厳しい条件が加わり、生活レベルもより貧しくなる。ここ聖なる谷では、比較的幅広い農作物が植えられており、通年でトウモロコシ、ジャガイモ畑、その後に小麦畑と続く。カカコーリョでも同様だが、若干時間枠ではより厳しい条件が重なる。高地の人々は本来は遊牧民であり、農作物として育てることができるのはジャガイモしか無いのだ。(高栄養のアマランス種のカニフアと呼ばれる穀物は、海抜4000m~4500mで育つが希少である。)彼らは人類を養い育てる農業遺産である「ポテト」をこの世界にもたらした開祖であるにもかかわらず、大きな苦しみに直面している。この20年間経験したことの無い、想定外の高地における豪雨により、ジャガイモの収穫は大きな被害を受け、その殆どが地中で腐敗しているのだ。僕がその彼らのことを耳にしたのは、バラリオの先祖はこの民の出身であるということ。そして彼の奥さんはカカコーリョ村の出身なのだが、2日間ほどかけてカカコーリョを訪れ、小麦や砂糖、レンズ豆といった食糧を補給しに来たそうなのだ。

コリコチャの広大な貯水池に近いパタバンバ村は大丈夫だろう。もう少し小さい2つの村、山際にあるクエンコ村(クスコの近くにある遺跡のケンコーとは異なる)と、シワ村は深刻な被害状況のようだ。バラリオとこの2つの村に、明日にでも訪問し、被災状況を確認してこよう。

カカコーリョ村に訪問した日の夕刻のこと、救援活動を行っているエルモールとアンナに招かれた。僕らの提案を話し合うための席を、おしゃれなピザのポットラックでもてなしてくれた。ミカルが靴下で作った指人形で子供たちを楽しませてはどうかな?という提案には皆がインスピレーションを感じていた。素敵なアイデアだ。僕の役割はイベントの参加者を募り、イベントの日時を決めること。たぶん学校あたりがいいかな?でもちょっとだけ気にかけて欲しい。この子たちにはこの靴下さえ無いのだ。

翌日3回目の食糧物資の配給を行った。30世帯は本当に心から感謝を表してくれた。しかし同時に他の物資を受け取れない世帯から、不公平感が広まりつつあるのを感じる。支援物資を一番必要としている人々に行うこと。おそらくもっと公共的な視点での援助も視野に入れる必要があるだろう。例えば市庁舎の再建に支援を申し出る・・・とか。(市庁舎もそれほど甚大で無いレベルだが、この洪水で破壊された。)そういうスタンスを維持することで、村の残りの人々が支援に公平感を感じてくれるといいのだが。ペルーに乾杯!

火曜日。いい知らせが届いた。バラリオが僕のの水道管敷設支援に関する申し出を見送るよう話してきた。ある村がクスコ市庁の水道管理者に対して申し出を行ったそうなのだ。おそらく近日中にも検討結果が出ることだろう。更に、30世帯のうち18世帯が一時帰宅を許され、家の修繕に取り掛かることになったそうだ。最終的には自宅に戻る日が来ることだろう。他の政府の部署では村の構造的に弱い地域に対して排水用の水路を敷設する動きがあるとのこと。僕らはカカコーリョ村で今回最も被災した30世帯の実名リスト、家族構成、年齢などの情報を提出した。老夫婦たちにとっては多めの毛布が必要だろう。しかし小さな世帯では、乳幼児のいる母親などは、もっと牛乳の配送が必要だ。もっとも弱い、必要を覚えている存在を、ピンポイントで把握していく・・・必要は何か?最も効果的な活用方法は何か?より救援物資を公平に分配するにはどうしたら良いか?援助をしにペルーに休暇にちょっとだけスペイン語をかじって訪れてくれる人がいたら伝えたい。「古着を持ってきて!特に子供用と、大人用で小ぶりなサイズのものをなるべく・・・!」

皆さんのお祈り、励まし、ご支援、基金へのご協力に心から感謝申し上げます。

海外から当支援に協力を申し出てくれる友人へ。カナダ在住の方は(INTERAC)という電子送金手段があります。海外(日本を除く)からの協力者は、PayPalを使用してください。メールアドレスは以下:          

メールアドレス: paultemple1@mac.com

郵送先住所:               

c/o Ulrike’s Cafe,
Plaza de Aramas 828,
Pisaq, Cusco, PERU

ペルーでの携帯電話の番号は、クスコ地区外から電話する場合、頭に(084)をつけて。その他、海外からは +984-239-499

2010年4月24日土曜日

カカコーリョ村への帰還 vol.3




これらは避難キャンプの上部に設置されている避難小屋。これは動物用の小屋では無い。人間用の避難小屋なのだ。


殆どの家を失った住民たちはすでに市営の防災組織のテントに移っている。いくつかのテントにはビニールシートで覆われている。これらは山岳用のテントでは無いので、雨漏りがする。床に縫い付けられたマットがあるわけでも無い。ユーカリの木の枝とビニールシートで構成されたマットレスが、泥だらけの地面から難をしのいでいるだけだ。これは見ていて辛い。


実際に現地ではどのような必要に迫られているのか・・・。これを正確に把握しようとしているところだ。そしてどの程度の期間、どのくらいの予算が必要なのか。また実際の収穫量やタイミングも考慮する必要もあり、これは実際には天候とも密接不可分な関係にある。今ざっと僕の中で言えることはこうだー

食糧の支援はトウモロコシの収穫時期になるまで必要だ。収穫は5月の中旬あたりから始まり、6月の終わりには収穫を終える。楽観的にみても6月中旬もしくは下旬ぐらいになるだろうか。乾季(レンガ造りの季節)は4月から始まる。建築用の道具類、つるはし、ショベル、「ランパ」と呼ばれる木製の型に泥と水を練ったものを入れるための道具、そして手押し車なども1台か2台は必要になるだろう。 4月か5月には建築を始める必要がある。そして彼ら自身で生産できない釘やワイヤー、「カリッツォ」と呼ばれる屋根裏用の竹で出来た建築用資材も必要になるだろう。 「テジャス」と呼ばれる伝統的な粘土で出来たタイル、なるべく軽いブリキ板などなど。(しかし実際の方法論ではこれらの資材を最適活用するには、彼らが独自に行っている建築方法を少し洗練する必要があるかもしれない・・・)そしてその都度発生する雑費もろもろ。予測の範囲内/外を問わず、診療が必要になる状況もあるかもしれない。ラヤニヨック地区裏にある木材置き場からユーカリの木で梁を収穫できるだろう。だが輸送費のこともある。トラックの一台や二台。チェーンソー要員、ガソリン代、オイル代・・・。これはまだまだ骨子の段階。本当に必要最低限のレベルの見積もりだ。彼らが独立して自治にあたり、これらの試算を考慮することで、自分たちの足で立ち上がることを支援せねばならない。その一番の筆頭課題はー食糧、そして住居、窓やドアは、また彼ら自身で試算してもらわねばならない。


結論から言うと、やはりコストの問題だ。今僕の手元には6000~7000ドル相当の尊い寄付金がある。食糧をあてがう限りにおいては十分だ。(もちろん仮に追加の予算があるとしても、彼らの生活水準を上げ、疫病の脅威から守るためには免疫力の向上が欠かせないので、まずは食糧支援に重点を置きたい。)同じくらいの金額が、建築用の道具類に必要とされるだろう。12,000~15,000ドル(約120~150万円相当)あれば十分だろう。もうすでに半分満たされている。そして僕らの友人からの助け(特に最近は「友達の友達」からの・・・)が拡がっていけば、十分目標を達成することが可能だ、そう確信している。この災難に出くわした魂の心に喜びと慰めをもたらすには十分な支えだ。


このペルーでの災害を大きく上回るスケールでの被害がチリ、ハイチといった全世界中で日常茶飯事となってしまった今の世界において、上であげたような支援の要請は賞味期限の短いものかもしれない。でもこのようなちっぽけで名も無い、しかし大きなハートの先住民の隣人たちは、彼らなりの方法で、僕を彼らの中心に招きいれてくれている。 Muchas Gracias para mi compadres. Muchas Gracias Pachamama. (父なる神、そして母なるパチャママに感謝)


試練の時期だ。ひたすら天候のために祈り、ケチュアの兄弟姉妹たちの幸せのために祈る。摂取、及び就寝のパターンが乱れ、彼らの状況が最近は頭から離れない。自分のエネルギーを効果的で、バランスが取れたものに保つように、注意せねばならない。数時間ほど庭であたたかな日差しが降り注ぎ、植物の世話をすることは、何より疲れた心を癒やし、地に足の着いた状態へと戻してくれる。


僕の個人的なエネルギーの整え方はインドの教えから学んだものが多い。ヨガ、サンスクリット聖歌、瞑想、ヴェダンタ哲学などが、気分の移ろい易さなどから遠ざけ、中心に戻してくれる。インドの精神性は僕を整え、準備万全にしてくれている。そしてペルーは他者をおもいやることに関する教えを与えてくれているのだ。

2010年4月23日金曜日

カカコーリョ村への帰還 vol.2



日曜日、村ではコリコチャ(Qoricocha)の貯水池の運河を清掃するためのグループが向っていった。コミュニティ一帯の共同プロジェクト、「アイニプロジェクト」が立案されることになった。この運河が激しさをを増す豪雨から村を守ってくれると良いのだが。


月曜日、バラリオと村に戻り、丸くて平たい「パンチェッタ」と呼ばれる全粒粉の小麦でできたパンを何袋か購入した。この数日間のうちにそれぞれ帰国することになっているアイリーンとスティーブと合流する。彼らも深刻な被害があったタライ村での支援活動に従事していた。政府もようやくこの地域一帯の対処に動き出したようではある。地域の教会、そして修道女たちが中心となって、700食もの食事を毎日3回配給している。彼らもまた同様に、より高地の遠隔地に支援を集中しているようだ。このタライ村へは低地の状況がどうなっているのかを視察し、彼ら自身が募っている基金、及び支援活動をどのように最適運用するべきか考慮するために。


(上の写真の)タライ村のキャンプに到着した時点で、すでに放棄されていたに等しかったが、この緊急事態からようやく学校が再開し、子供たちも僕らが以前提供した新品の学用品を持ってやってきた。雨は降っていないので殆どの世帯の家族たちは屋外でひょうの被害や、大量の水を含んだ地盤状況の確認、前の家から使える物資などを運び出す作業に必死だ。民間の防災組織の指導者たちは、更に多くのテントやプラスチックのゴミ箱や、ポリエステルの貯水用タンクを提供し、野営の医療チームはキャンプをたたんで引き上げたようだ。



僕らはここで、きらきらと輝く素敵な魂たちに出逢ったのだ。子供たちが学校から帰ってくるまでに炊き出しの準備を、共同炊事場などで従事してくれている、このコミュニティを代表する方々だ。モーゼは僕との連絡役となってくれている。村長であり出納係でもある彼は医療チームの代表でもある。彼らはこの避難キャンプグループの責任者でもあり、キャンプでの実際の避難支援活動を推進し、寄付された物資の配給を行っている。僕の個人的な見解としては、この代表者の中にハートフルなマミタス(おっかさん)が加わっていたらベストだと感じている。確かにそう提案することもできるだろう。でもそれは彼ら自身が決めることだから僕が口を挟むものでは無い。彼らの内政干渉をするようなことだけは避けたい。


医療チームの代表がいないのはまことに残念。湿った環境が長く続いたことで、肺や気管に問題を訴える住人が増えていることが気がかりだったからだ。(ルネーからも同様の話を聞いた。タライ村では咳をする年長者たちが増えているとのこと。)
一番気がかりなのは被災して避難キャンプにいる赤子たちのことだ。クオヤ(Qoya)地区の医療ボランティア診療所のカウセイ・ワシに近く診療してもらえるよう早速連絡を取ってみようと思う。もしあなたがこの避難キャンプに移動してきた30世帯の1人だとしたら・・・実に状況は大変深刻なことがわかるだろう。せめて彼らが願っていること、それはこの水浸しになって家々、所有していたわずかな土地から一刻も早く引き上げることだ。村にはまだまだ浸水したままの状態にもかかわらず家に留まらねばならない人々が多くいる。
この時期に泥だらけの床が乾くには多くの時間を要する。栄養失調の状態は著しく、疾患の問題があらわれてくるのは避けられないだろう。




僕らが仕事に取り掛かろうとしたとき、若い母親が僕らに・・・信じられないだろうが、食糧・・・ふかしたジャガイモ、そして彼らにとっては貴重なタンパク源である野ねずみを手渡してくれた。彼らの慣例に敬意を表するために、ふかしいもを食べた。でも齧歯(げっし)動物である「そいつ」は僕には多すぎる。お皿はほぼ手をつけずに、しっかりと「ありがとう」と伝えた。この食物を最も必要としているのはあなたたちなのだから。


今回の任務は完了した。繰り返しになるけれど、「何が必要ですか?」との問いに対する「FOOD」との答えは変わることがなかった。いつでもリストのトップにあがってくる。建築用の道具類は、もう少し後で必要になるだろう。でも乾季が始まるまでの間、「食糧」がリストのトップであることは間違いない。衛生上の問題もすでに露呈してきている。食事の準備のために5ガロン(19リットル)ほどのバケツを、若者たちが引っ張っている。でも体や衣服を洗ったり、赤ちゃんのおむつを洗ったりと、もっと適切な水の供給体制が求められている。


それともラヤニヨック(Rayanniyoc)にある自治体で賄われている給水タンクへ水を補給できるよう輸送費に支援をまわすべきか。でもこれは長期的に見ると、あまり得策では無い。実際にここで本当に必要とされているのは2300メートルに及ぶ水道管の敷設であり、これは比較的大きな投資アイテムとなる。まずは彼らの健康を支えるための基本的な食糧にあてがい、水路の確保に関しては長期的に見ていくしか無いか。もしそうだとしても、敷設費用がどの程度になるだろう。まずはコストを見積もってみることからだ。


食糧は勿論一番の優先アイテムであることは間違い無い。彼らは何も贅沢を言わないのだ。安価な米、パスタ、砂糖、ジャガイモ、普遍的な貧しい高山地域での比較的炭水化物偏重型の食生活だ。現在最も切迫している健康状態に関する問題だが、僕の個人的な見解では防腐効果の高いセボラ(たまねぎ)とアジョ(にんにく)、そしてアンデスのスーパー穀物であるキヌアとキウィチャ(アマランサス)、これだけあれば十分だ。バラリオと相談しながら、もう少し栄養素の高い食糧を取り入れることにしよう。

2010年4月11日日曜日

カカコーリョ村への帰還 vol.1

カカコーリョ村への帰還
2010年3月16日

原文サイト: Return to Ccaccacollo



先週日曜日の午後、一週間続いた日差しの魔法のおかげで、天空を覆っていた雲が抜け、嵐のさなかの暗雲だけでは無く、青みがかった紫色の雲の入り混じる夕日が差し込む。それもつかの間、また天からは数分のうちに豪雨が降り始め、家のすぐ裏の水路が激しい濁流と化した。すべての家々のバルコニーは浸水状態であり、警戒水域にある。


幸いなことに、豪雨の中には小石ほどのあられが入り混じっていて、すぐに溶けてしまう。でもピサックからクスコへの道は一時的ではあるけれどもまた閉鎖されてしまった。エルモール(El Molle)の外の道沿いに、斜面に横並びに建てられた家々を脅かしながら、泥流は激しく下流に流れていく。カカコーリョ村の人々は既に今年の収穫量への被害予測を立て始めている。美しい日没の風景が、少しの慰めを与えてくれた。


実は一週間前に、カカコーリョを訪れた際に、30世帯ほどが住む家を失ったのだけれど、そのような悲痛な状況にもかかわらず、住人たちは一切不平をもらすのでもなく、実直にこの災害に立ち向かおうとしている姿勢が感じ取れた。なんという忍耐力なのだろう。僕は彼らのこの強い精神力に腹の底から大きな衝撃を受け、「どんなことでもいいから彼らにとって必要な支援を申し出たい・・・」と決意を新たにした。


翌朝また食糧を運びにバラリオと村へ向った。そして午後にはブログ記事の投稿を行った。それは僕の親交のある少人数の友人たちとシャーマンが執り行う儀式に使用する「聖なる植物」の研究に関して、シェアするために起こしたブログだった。けれど急遽そのページは現在発生している「災害報告」へと形を変え、多くの暖かなコメントによって、個人からの支援の申し出や、直接的な支援のための要請といった目的に使用されることとなった。反響は本当に心温まるもので、勇気付けるコメントや資金的な支援の申し出に感謝の言葉しか見つからない。現在6000ドルほどがすでに寄付されており、送金中のものもあわせると約7000ドルに達する。前回告知させていただいた、送金方法詳細に関しては殆どの人々には必要十分だったようだが、一部の支援者は銀行の窓口で「ペルーの実際の住所を記載してくれ」と要請されたのだそうだ。パタカーレから端を発する、この蛇のようにうねったアンデン(Anden)という名の棚田の等高線に沿った古道、アンデスという言葉の語源はまさにこの棚田(アンデン)に由来するのだが、二本目の水路に沿って進み、岩壁を左側に進むとそう、よくいらっしゃいました、ここ「プーマクルコ(Pumacurco)」にご到着。


 「Señor Paulo, the gringo、外国人のセニョールポールはいるかい?」


そう尋ねたらこのピサックプエブロから歩いて15分ほどの小規模の農作地帯では、誰もが僕の棲家を指差すことができる。だけどそんな情報、一体銀行がどうして必要とするのか。なのでこのブログの終わりに、郵送先住所、カナダ国内用のInteracを利用した電子送金方法、それからPayPal(注:日本以外の地域のみ)の活用方法についての情報を記載しておこう。(カカコーリョ村への帰還 vol.4に記載されています)


確か4日前のことだったか、最初の食糧物資の配送を行った後のことだ。それがどのように使われたのかを聞いた。なんと「村全体で祝宴を催したというのだ!」もちろんそこには食前酒やオードブルといったご馳走は並んではいるはずもなく、一杯のご飯と、薄味のスープが配給されただけだ。一緒に喜んでいいものか、泣くべきなのか分からなくなる。僕らにとってこの800人ほどのこの村民全員の人々を養うことは、ほぼ不可能に近い。けれどもこの村の人々の気高い精神性、そして「アイニ」という概念に表される相互扶助の精神、互いに手を取り合い支えあう姿は、このケチュア文化の独立性とアイデンティティが保たれる要因であったことは疑いようがない。


日干し煉瓦の接着剤として使用されるセパジャ(thepaja)という名の高山草があるのだが、これを収穫する頃にまで覚えておきたいと思った。この出来事は実際に被災した住民と、そうでない住民とはほぼ紙一重であったということ、更に村民ほぼ全員が一致して「食糧の供給」を必要としており、村の主だった農業従事者たちは食糧の自給率が著しく低下していること、そしてこの高地ではトウモロコシの収穫は2ヶ月を待たねばならない、そして長引く天候不順により収穫量そのものに大きなダメージを受けていることを挙げていた。減産量は60%に達する見通しで、購入することができる者はわずかであり、村民の生存可能性そのものが大きく問われている状況だ。私はここで苦渋の選択に迫られた。食糧の配給を家を失った30世帯に絞り込むというもの。とてもセンシティブな問題だ。文化的な慣例などを十分に考慮しながらこの状況に対処していくことが求められている。

2回目の食糧配給は更にこのような意図を明確にして実施されたのだった。そして実際に家を失った人々たちに配給された。この食糧配給と学用品の支給に対して、市役所の人々がどのような対応をとったのかを思い出すのは胸の痛むことだ。彼らはなんと20ドル相当のオフィス用品と、ウェリントン社製ブーツを私たちに提供してきたのだ。それはわずかな割合であるかもしれない。しかし最も支援が必要とされているさなかにあって、(わたしたちの必要のために)資源が割かれるというのは耐え難い事実だ。この事実が誰かの善意を喚起するきっかけになればと思う。彼らは単に役所の番人として、供給物資の対等な交換が実施されているかどうかを監視しているだけなのだ。それが慣例としてまかり通っているのは事実のようだ。わたしはここペルーで従事していることに改めて気づかされた。この困難な状況に際して、食糧供給連鎖の一端で、略奪者たちが自分の利益のためにこの状況を利用したりすることが無いよう、見守ることにエネルギーを注ぐ必要があることを。


事始めとしてはまずまずと言ったところか。

今週は午後になると激しい風が吹いてくることが多い。彼らは雨季の終わりを告げるサインだと言う。これが単なる願掛けではなくて、彼らの言うとおりだといいのだが。

カカコーリョ村救援活動 - 近況報告


カカコーリョ村救援活動 - 近況報告
2010年3月9日 (火)

太陽がここ3日間続けて顔を出してくれている。長雨が一緒にもたらすあらゆる心配事のプレッシャーから少しだけ休息を味あわせてくれた。ウルバンバ川にかかる橋の土台が組み立てられ、サボテンには花が咲いている。

火曜日の朝、信頼の置ける友、バラリオの車に、カカコーリョ村に配給する食糧を積み込んだ。週二回の配給は今のところ功を奏しており、週末の訪問でも彼と同行し、水道管や学校への物資、ミルクなどを運ぶ予定だ。30世帯、約150人のうち子供たちの占める割合は高く、ケチュアの共同体の中では特別なことでは無い。

バラリオは新居建築の際に大きな助けを提供してくれた。本当に心から信頼できる正直な仲間だ。家を失い、避難している村民たちは、よく連帯し、組織的に助け合いながら、お互いを支えあっている。タライ村の状況とは明らかに異なり、我々が提供している物資はここでは公平に分配されている。このことは確信を持って言える。ピサックの広場ではWiñay Takiから来たルネーにも会った。困窮する家族にせがまれて、物資を横取りするような自分勝手な行動を行う者もいて、現在でも課題山積な市長のラロ氏の頭を悩ませている・・・といった話をしてくれた。

州政府の高官の紹介で、米国オレゴン州出身で、クスコに長年在住のロイス氏にも会うことができた。彼女は、数年前の国連による報告書の中で、このダムの決壊に関する潜在的なリスクが報告されていたのだと言う。しかし、何も対応策がとられることなく、今回の被害をもたらしてしまった。クスコ新聞では(ピサックに直接的な洪水をもたらした)ヴィアチャダムは、未だに危険な状態にあると報じている。この日記を書きながらも、今頭上でヘリコプターが飛び交い、ダムの方角へ向っていった。状況を確認するためだろう。

ミグエル・グラシエと、2歳の娘さんであるクリスタルちゃんは、タライ村の出身である。家の状況が落ち着きを取り戻すまでの間、ここプマクルコに避難してきている。洪水があった夜、彼らは恐ろしい体験をした。巨石やがれきが入り混じった泥流が2mほどの高さまで押し寄せ、2階で身動きが取れない状態になっていたのだ。冷蔵庫や家畜たちはみな流されてしまった。近隣の家々は倒壊してしまったと言う。

また偶然ジョセフにもばったり出逢った。ムールー(Mullu)カフェのオーナーで、ユーファミアの勤め先だ。「君んとこの家は大丈夫かい?」と聞いてくれた。「ああ、大丈夫だよ。ありがとう。でも近くの用水路には十分対策を講じておかないとね!」
「地盤の具合はどうかね」彼は山岳地帯の住民にとっては若干デリケートな質問を投げかけてきた。地面はすでに多くの水を含んでおり、山の斜面にある家は地すべりを起こしやすい状態になっている。そのことは僕もすでに良くわかっており、昨日全面水浸しになってしまったトマトを植えてある畑の杭を抜いてみたら、一斉に水が染み出してきた。幸いなことに、家の状態はなんとか保たれているようだが・・・。カカコーリョ村のある世帯はこのようなリスクにも瀕しているのだ。

でも同時に僕のブログに対して、たくさんの勇気付けられるコメントを頂いた。その多くは「経済的にどうやって支援の手を差し伸べることができますか?」といった内容だった。本当に心からありがたいことだ。今とてもじゃないが、食糧配給の手配に多くのエネルギーが割かれているから、いかんせんこの基金設立の作業に着手できずにいた。でもようやく昨日クスコに行って銀行を訪れ、海外送金方法の詳細や、ペルーへの送金方法などについて確認することができた。カナダのジェニファーとマノンジュを経由して小切手を送るなどの代替方法も提示してある。こちらのほうが容易である方も多いことだろう。

重ねて、このブログを読んでおられる多くの支援者の方々に心から感謝申し上げます。あなたが送ってくださった尊い支援金は、一番有意義な形で使用されることをお約束します。カカコーリョ村の家々を失った多くの人々に大きな恩恵をもたらすことができ、本当にありがたく受け取らせて頂いております。

海外送金は以下の方法で行うことができます:

Name: Paul Temple
Bank: Banco Internacional del Peru (Interbank)
Branch Address: Interbank, Avenida El Sol 380, Cusco, PERU
Account Number: 420-3017053952
SWIFT Code: BINPPEPL
Account Type: US Dollar Savings


カナダ在住の方は、直接カナダドルにて、カナダの銀行口座振り込むことが可能です。私は直接ペルーでATMを通して受け取ることが可能です。

Royal Bank of Canada.
Creston Branch,
1008 Canyon Street,
Creston, BC
V0B 1G0
Account Number: 01440-5021910

ジェンとマノンジュはカカコーリョ基金のために窓口を担ってくれており、以下住所にて連絡を取ることができます。

Site 7, Comp 12, RR#1,
Boswell, BC
Canada
V0B 1A0
Tel. (250) 223-8212

すべて基金を寄せてくださる方は、会計報告のためにも私にメールを送って頂けますようお願いいたします。ジェンとマノンジュを経由される方は、これは不要です。

プライバシーと匿名性に配慮しながら、適宜に会計報告をさせていただきます。この基金がどのようにして使用されているかをご理解していただきたいと思います。

カカコーリョの避難中の家族たちにかわって。
愛と祝福がありますように。

ポールテンプル