ラロと僕はよく「救援物資の公平な配給方法」について議論をする。というのも、盗人たちが「村全体の利益のために・・・」という名目でたびたびこれら救援物資を掠め取るのを把握しているからだ。カカコーリョ村の村民たちもこの問題について指摘しており、一度代表者を罷免して、再選人した経緯があるからだ。
バラリオはよく、隣接するコロラヤン村について、政府またはNGOの援助を「うまく」引き寄せていることを話していた。ではどうしてカカコーリョ村は援助の申請をしないのだろうか?
「どう申請すればいいのか?どうやって手続きを行い、申請書を記入し、誰に相談すべきかを知らないからだ。」
では、どうしてコロラヤン村などの近隣の村々と協力して、その任に当たらないのだろうか?僕の理解する範囲から言わせてもらえばこうだ。それは彼らはつまりキックバック(リベート)を受け取っているということ。そのような腐敗した仕組みは第三世界ではある意味普遍的なものであるし、僕はそのような事象からなるべく阻害されないようにと心を配ってきた。僕が支援に携わろうとする動機は、このような仕組みを支えるためでは無い。僕の心眼に写る、目のくりくりした3歳の女の子は、自動車タイヤから作られたサンダルを履きながら泥だらけの道をふらふらと歩いていくのだ。
「どう申請すればいいのか?どうやって手続きを行い、申請書を記入し、誰に相談すべきかを知らないからだ。」
では、どうしてコロラヤン村などの近隣の村々と協力して、その任に当たらないのだろうか?僕の理解する範囲から言わせてもらえばこうだ。それは彼らはつまりキックバック(リベート)を受け取っているということ。そのような腐敗した仕組みは第三世界ではある意味普遍的なものであるし、僕はそのような事象からなるべく阻害されないようにと心を配ってきた。僕が支援に携わろうとする動機は、このような仕組みを支えるためでは無い。僕の心眼に写る、目のくりくりした3歳の女の子は、自動車タイヤから作られたサンダルを履きながら泥だらけの道をふらふらと歩いていくのだ。
ラロは食糧配給に関する、「ペース」に関して強調していた。これから2-4ヶ月にわたり、天候と収穫物の状況に応じながら、最適配分する必要がある。そして話は彼自身の状況に関して、どう対処していくべきか・・・に移っていった。彼がこの救援活動を行い、自身の家庭生活を再建するなかで、僕は彼に最低限の夜露をしのぐ場所を、ここピサックで提供する用意があると申し出たのだった。
翌朝僕はバラリオを食糧物資の買出しのためにクスコへと派遣した。クオラオ(Qorao)で落ち合い、そこからケンコー(Q'enko)へは以下写真のカロラヤンのテント村を越えて、山間のジクザクな道を辿って約1時間ほどで到着する。 このテント村では、食糧配給を受けるために、半ば強制的に移住を余儀なくさせられた人もいるとの噂を聞いた。


山の尾根を越えると、1000mほど直下に「聖なる谷」の壮大な眺望が拡がってくる。タライの下流にあるリオ・ウィルカマユにまで広範囲でトウモロコシ耕地にダメージが拡がっているのが分かる。(この写真の直下に見えているのはクオヤ(Qoya)を見下ろしている。 これらは「カンペシーノ」と呼ばれる小規模農家の農作地帯では無い。「ハシエンダ」と呼ばれる大規模の農作地帯であり、95年の農業改革以来、地主を失った土地なのだ。
バラリオとはいつもこの高山地域における暮らしの質をどう向上させられるか絶えず議論を交わしている。彼は僕にとっての目であり耳である。この都会から離れた、比較的保守的で、ケチュア部族の伝統に準じて生活している彼らにとって、先住民たちはエキストラネロ(外国人たち)に対してはあまり心を開くことは無い。過去500年にわたり自らの祖先の地が、スペイン帝国の支配と蹂躙を受け、近年の部族長の政治的支配を経てきた彼らにとっては無理の無い話だ。
僕は今、この高山地域におけるキヌアとキウィチャの農耕の可能性に関して調査しているところだ。バラリオと2km先の谷の向こう側からやって来たタクシーの運転手は、地元のケチュア語で協議をし、バラリオがそれをスペイン語で伝えてくれる。この辺の気候は寒すぎる。干ばつと霜への耐性があるカニワはどうなのだろうか?など。
人々は明確な答えを持たない。でも本当はわかっているのだ。そして僕らはその答えをいかに彼らから導き出せるのかに、大変な興味を持っている。「いかにしてこの貧しいアンデスの仲間たちに、これらの土着のスーパー穀物を再導入する余地が無いものだろうか?」と。サアグと呼ばれるヒマラヤからもたらされた発育の良いマスタードの葉とか、僕の家庭菜園から採れた野菜の種もその可能性を秘めている。
人々は明確な答えを持たない。でも本当はわかっているのだ。そして僕らはその答えをいかに彼らから導き出せるのかに、大変な興味を持っている。「いかにしてこの貧しいアンデスの仲間たちに、これらの土着のスーパー穀物を再導入する余地が無いものだろうか?」と。サアグと呼ばれるヒマラヤからもたらされた発育の良いマスタードの葉とか、僕の家庭菜園から採れた野菜の種もその可能性を秘めている。
既存の救援活動は今年1月の記録的雨量による水害被害に対する取り組みである。本当に緊急ですべては切実は必要に基づいた活動である。けれど長期的にはどのようにあるべきなんだろうか?これら先住民の民たちを、カニワ(Kaniwa)などの伝統的な古来の高山農作物を再導入することは、僕の植物学、園芸学、持続可能性、そして自己受粉可能な植物への関心などにも合致する。であれば、僕らが今回取り組んできた食糧支援、衣料支援などの救援活動はクエンコ村の住民たちの受容と協力体制に基づいて、長期的な視点での実験的な構想を実施することが可能になるだろう。これは大きなお役目だ。そして希望がある。
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