Paul Templeピサック救援活動ブログ(日本語版)

2010年4月28日水曜日

カカコーリョ村への帰還 vol.4

チャクタカッカ山より高地の山間の村々から、「ポテトの民」が今回の被災で大いに苦しんでいる、という噂が出回っている。より高地に行けば行くほど、農耕にはより厳しい条件が加わり、生活レベルもより貧しくなる。ここ聖なる谷では、比較的幅広い農作物が植えられており、通年でトウモロコシ、ジャガイモ畑、その後に小麦畑と続く。カカコーリョでも同様だが、若干時間枠ではより厳しい条件が重なる。高地の人々は本来は遊牧民であり、農作物として育てることができるのはジャガイモしか無いのだ。(高栄養のアマランス種のカニフアと呼ばれる穀物は、海抜4000m~4500mで育つが希少である。)彼らは人類を養い育てる農業遺産である「ポテト」をこの世界にもたらした開祖であるにもかかわらず、大きな苦しみに直面している。この20年間経験したことの無い、想定外の高地における豪雨により、ジャガイモの収穫は大きな被害を受け、その殆どが地中で腐敗しているのだ。僕がその彼らのことを耳にしたのは、バラリオの先祖はこの民の出身であるということ。そして彼の奥さんはカカコーリョ村の出身なのだが、2日間ほどかけてカカコーリョを訪れ、小麦や砂糖、レンズ豆といった食糧を補給しに来たそうなのだ。

コリコチャの広大な貯水池に近いパタバンバ村は大丈夫だろう。もう少し小さい2つの村、山際にあるクエンコ村(クスコの近くにある遺跡のケンコーとは異なる)と、シワ村は深刻な被害状況のようだ。バラリオとこの2つの村に、明日にでも訪問し、被災状況を確認してこよう。

カカコーリョ村に訪問した日の夕刻のこと、救援活動を行っているエルモールとアンナに招かれた。僕らの提案を話し合うための席を、おしゃれなピザのポットラックでもてなしてくれた。ミカルが靴下で作った指人形で子供たちを楽しませてはどうかな?という提案には皆がインスピレーションを感じていた。素敵なアイデアだ。僕の役割はイベントの参加者を募り、イベントの日時を決めること。たぶん学校あたりがいいかな?でもちょっとだけ気にかけて欲しい。この子たちにはこの靴下さえ無いのだ。

翌日3回目の食糧物資の配給を行った。30世帯は本当に心から感謝を表してくれた。しかし同時に他の物資を受け取れない世帯から、不公平感が広まりつつあるのを感じる。支援物資を一番必要としている人々に行うこと。おそらくもっと公共的な視点での援助も視野に入れる必要があるだろう。例えば市庁舎の再建に支援を申し出る・・・とか。(市庁舎もそれほど甚大で無いレベルだが、この洪水で破壊された。)そういうスタンスを維持することで、村の残りの人々が支援に公平感を感じてくれるといいのだが。ペルーに乾杯!

火曜日。いい知らせが届いた。バラリオが僕のの水道管敷設支援に関する申し出を見送るよう話してきた。ある村がクスコ市庁の水道管理者に対して申し出を行ったそうなのだ。おそらく近日中にも検討結果が出ることだろう。更に、30世帯のうち18世帯が一時帰宅を許され、家の修繕に取り掛かることになったそうだ。最終的には自宅に戻る日が来ることだろう。他の政府の部署では村の構造的に弱い地域に対して排水用の水路を敷設する動きがあるとのこと。僕らはカカコーリョ村で今回最も被災した30世帯の実名リスト、家族構成、年齢などの情報を提出した。老夫婦たちにとっては多めの毛布が必要だろう。しかし小さな世帯では、乳幼児のいる母親などは、もっと牛乳の配送が必要だ。もっとも弱い、必要を覚えている存在を、ピンポイントで把握していく・・・必要は何か?最も効果的な活用方法は何か?より救援物資を公平に分配するにはどうしたら良いか?援助をしにペルーに休暇にちょっとだけスペイン語をかじって訪れてくれる人がいたら伝えたい。「古着を持ってきて!特に子供用と、大人用で小ぶりなサイズのものをなるべく・・・!」

皆さんのお祈り、励まし、ご支援、基金へのご協力に心から感謝申し上げます。

海外から当支援に協力を申し出てくれる友人へ。カナダ在住の方は(INTERAC)という電子送金手段があります。海外(日本を除く)からの協力者は、PayPalを使用してください。メールアドレスは以下:          

メールアドレス: paultemple1@mac.com

郵送先住所:               

c/o Ulrike’s Cafe,
Plaza de Aramas 828,
Pisaq, Cusco, PERU

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